「月白」の建物-寺内北町道り鹽屋 九郎兵衛宅について-
八幡城八幡山下町の中心に「京街道」と呼ばれる街道がありました。
徳川家康が関ヶ原合戦の戦勝街道として上洛の際に利用し、以降秀忠、家光も家康の先例に倣ってこの街道を上洛のお目出度い道として利用しました。
江戸時代の将軍代替えに伴う祝賀の為、隣国朝鮮国からの使節団 「朝鮮通信使」数百人一行の道としても利用され、
江戸時代の間に12回もの記録に残っています。
これら一行の宿泊、休憩所として、家康は「本願寺八幡別院」に宿泊しました。
そして、朝鮮通信使一行は「本願寺八幡別院」や周辺の近江商人豪商宅を休憩所としました。
寺内北町(現在の北元町) 通り「本願寺八幡別院」向い京街道角地 に、今から300 数十年前、元禄時代に醸造業で財を成して建てられた古民家「鹽屋 九郎兵衛」八幡商人屋敷がありました。
朝鮮通信使一行来幡の折に、「通詞」役人の休憩所として利用された、由緒ある建物です。
明治以降には、「畳表」の卸店として使われ栄えました。
そして令和の今、その屋敷は当時の息吹そのままに、現代的な感性を集いの場「月白」となり、衣・食文化の発信基地として新たに生まれ変わりました。
「月白」の隣接町には、昔と今をつなぐ建物も多く現存しています。
幕末に「京都祇園」「大阪新町」「江戸淺草」といった名だたる花街と拮抗したともされる八幡花街跡や、
アメリカ人宣教師の居住地、池田町洋館街などが残り、今なおその歴史の色香を伝えています。